ボランティア活動を通じて
JICAフロンティア 2001 December に掲載されました。
オガ屑を熱して圧力をかけると糊を使わずに固まり、堅い木の棒になる。このオガライト技術は1950年代に発明され、一時は薪の代替として各地で使われたが、灯油やガスなどの普及で現在はほとんど使われていない。
山口県山口市で工場を営む山路太郎氏は、NGO活動(SVA、シャンテ国際ボランティア会)を行っていた有馬実成氏(故人、日本のNGOの先駆けの人で徳山の原江寺の住職)から、1990年代半ばにこの技術を燃料不足に苦しむカンボジアで利用できないかと持ちかけられた。工場をやめようと考えていたところだったが、現地の悲惨さを見て「やるしかない」と3年間にわたって現地での指導、及び研修生も受け入れた。製品はできたが、現地ではベトナム炉が流行っていたため成功しなかったものの、これがきっかけでカンボジアに学校を建てたり、現地NGOの支援などの活動を個人で行っている。
オガライトを焼いて炭にするという技術も生まれていた。多くの中小企業が協力していまでは東南アジアで作られるようになっている。この技術を1999年に始まったJICAと宇部市によるペルーへの地域提案型研修で教えている。「1人は張り切ってオガ屑のサンプルをペルーから送るといって帰ったが、そのまま。教えるのはいいが、結果がどうなったかを知りたい。」と山路さん。さらに「ペルーからの研修は見学が主なので、もっと長い期間、腰を据えて技術を教えるほうがいい」と辛辣だった。
少しずつ軌道に乗り始めてきたこのオガライトの炭が注目をあびる。焼き肉ブームの火付け役ともいえるチェーン店の「牛角」がこの炭に目をつけたのだ。しっかり固めて焼き締めた炭はたたき合わせると「キンキン」と金属音がする。ブランド炭の備長炭と同じで、焼き肉にぴったり。火力が一定で遠赤外線効果も高い。狂牛病事件で牛肉離れが進み、このところ下がっているが、各店で使われ売り上げは驚くほど伸びた。
ボランティア活動がきっかけで、オガライトの技術は生き続けた。中小企業の持つ技術が途上国に役立ち、小さな工場にペルーからJICA研修員が来る。同時に都会の焼き肉ブームを影で支えている。
「地方の持つ技術を、もっと海外に出したらいい。うまくいけば商売に結びついて、地方と途上国両方が活性化できると思うよ」という山路さんの言葉は、体験に基づく説得力があった。
成型燃料(オガライト)
オガ炭(画像は、特撰 弾丸小丸)
カンボジアでの技術指導
読売新聞山口版に掲載されました。
山口市小鯖の燃料製造業、販売会社「共同産業」で昨年暮れ、燃料用の薪を作る技術を学んでカンボジアのバッタンバンに戻ったパイ・サヴィットさん(38)らの活動が起動に乗り始めた。現地の窯業研修センターで一緒に汗を流している曹洞宗国際ボランティア会(東京)より平岩継生さん(50)がこのほど同社を訪れ、報告した。
戦禍が続いたカンボジアでは、薪拾いに行った子供が地雷に触れて命を落とすなどの事故が今でも多く、薪に変わる燃料が求められていた。
現地を見た曹洞宗ボランティア会県支部(旧徳山市)のメンバーが、オガ粉からオガライトを作っている山路社長を知り、カンボジアに多いモミ殻でも代用できると分かって、パイさんらに技術指導した。平岩さんによると、一日4百~5百キロ生産し、これを燃料に茶碗や皿などの生活用具を作っている。 フル稼働すれば一日七百二十キロも可能という。バイさんと一緒に来日したトンチャイ・ペーンサップ(33)さんが、焼き物のデザインを担当し、七十七人が研修生として働きながら学んでいる。
先月初めて、国内のレストランからコーヒーカップ、大皿など計三百八十個の注文が合った。窯出まで見届けた平岩さんは「この注文をこなしたことが大きな自信になった」と喜び、報告を聞いた山路社長は「とにかく一歩を踏み出した。復興に向けた出発点になればうれしい」と話している。
カンボジアで当社の技術が、復興に貢献しています。
1997年5月21日 読売新聞から抜粋
タイの山岳少数民族・モン族を支援しているNGO「シャンティ山口」(事務局・山口県川上村)。その親組織ともいえる「曹洞宗国際ボランティア会」(本部・東京松永然道会長)はカンボジア・バタンバンで窯業訓練センターを運営している。
二十三年間に及んだ内戦の末、王政が復活し、復興の道を歩むカンボジア。バタンバンはその第2の都市だ。センターは、帰還難民らの自立促進を目指す。
山口市下小鯖で、オガ粉から燃料(通称・オガライト)などを製造している会社社長、山路太郎さんがセンターを訪問したのは三月。三度目だった。
首都プノンペンを飛行機で出発。その窓から見た国土は森林破壊が進行していた。
山路さんはカンボジアで脱穀後に捨てられるモミ殻を、オガライト製造の技術を応用して固形化、燃料にする事に成功した。発案者はSVAの専務理事とシャンティ山口代表を兼ねる有馬実成さん(同県旧徳山市在住)だった。
これで、燃料用の薪集めの際、地雷に触れて犠牲になる帰還難民を救うことができる。さらにモミ殻を炭化すれば水の濾過に役立ち、粘土質の土に混ぜれば土壌改良にも貢献できる。
「利点が、二つも三つもある」
有馬さんの熱っぽい説明に、山路さんは心を動かされた。
モミを固形化した「モミガライト」はオガライトに比べ、熱量は低いものの技術的には問題がなく、バンタンバンの窯業訓練センターには、昨年3月までに日本製の製造機三台が設置された。
モミガライトは、センターの登り窯で自家消費された。国の復興で需要が伸びているレンガを作ったのだが、併用するまきの量は半分で済んだ。
しかし、昨年十月、登り窯は閉鎖された。森林の伐採禁止や乱伐による品薄から、薪の値段が四倍にはねあがってしまい、モミガライトとの併用とはいえ、使うことができなくなったからだ。